新生吾妻郡医師会の誕生 【 -その歩みと現在- 】

(2)新生吾妻郡医師会の誕生

これも沿革に含めるところであるが、現在の医師会の記念すべき新生であるので特に項を改めて記述する。
昭和20年(1945年)8月15日の終戦を境として国内事情は大きく変転した。国民医療法によって戦争目的に向かって編成された県医師会と各郡市支部は昭和22年(1947年)10月発布の「医師会・歯科医師会及び日本医療団の解散に関する法律」にもとづいて解散し、新しく生まれかわるに至った。
新生群馬県医師会は設立総会を開催、ここに社団法人吾妻郡医師会の設立を見た。即ち新生吾妻郡医師会である。
終戦を境として、その前後の医師会にはその内容(性格)に著しい相違がある。

  1. 終戦までは、法令による強制設立であり、官僚の監督下におかれ、自主的な活動が妨げられていたが、これに対し新生医師会は自由設立の民主的な団体である。
  2. 従前は医師の強制加入であったが、新生医師会は医師の自由意志による任意加入制である。
  3.  新生医師会は社団法人である。
  4. 終戦の医師会は全県を一区域とし、郡市毎に支部を置き医療の国家官僚統制を企図したが、新生医師会は県医師会、郡市医師会の三者協力連携を建前とした。

この流れが現在も続いており、日本医師会は各都道府県医師会員を以て組織し、群馬県医師会は各郡市医師会員を以て組織する。しかも、日医、県医、郡医はそれぞれ対等独立の社団法人であるという、いわば三層構造を形づくっている。
以上のように戦中戦後の医師会には際だった違いがあるが、その目的を「公衆衛生の向上、社会福祉の増進への貢献」に重点を置き、医師としての使命感を自覚し、常に医術の公共的立場を強調した点は一貫した精神に貫かれている。